「幸福否定の構造」
人間が幸福になるには、真の意味での「反省」が必要なのだと痛感する。
本当の「反省」をするためには無意識下で「心」が深く「反省」する必要がある。「心」が今まで通りの傾向を繰り返すのであれば、前進とは言えない。「心」が前向きに修正され、幸福になるための「素直」な行動がすんなりと出来るようにならないと、本当の「反省」とは言えないのだろうと思う。
しかしながら、全ての人間に当てはまるであろう「心」の傾向、「幸福否定の構造」が存在しするとしたら?
しかもそれを逆手に取る方法があるとしたらどうだろうか?
幸福であることを否定しない、または否定したくない人、「素直」に幸福でありたいと願う人、またはすねているがそれは本望ではないと思っている人、すなわち全ての人にオススメです。
「幸福否定の構造」という視点から浮かび上がってくる、我々の持つ存在の意味や意義。
本来、本質的には人間とその心の存在は非常に高いポテンシャルを秘めていて崇高さを持つものなのではなかろうか。
今では私はこの考え方が腹に落ち、とても幸せで、喜びいっぱいです。
「考えと行動、心が前向きでうれしい」(意識と無意識からくる行動、すなわち心の状態が前向きでうれしい)
実はこんな当たり前の事がひどく難しいのです。